赤面症が原因で不登校に。将来を見据えてスキルアップした体験談

脱不登校できた体験談

私の息子が不登校になったのは中学2年生の時でした。

当時妻は広告代理店の営業マン、私は新聞記者をやっており家族で家に居られる時間はごくわずか。

不登校になってしまったのは、二人が息子の様子を把握出来なかったからだと思っています。

気にするのはテストの点数だけ。

成績が優秀だったことは知っていましたが、友だち関係や学校であった出来事などは一切知りませんでした。

普通に順調だと思っていた最中、息子は突然学校に行かなくなりました。

不登校になったきっかけは赤面症だった


不登校になったきっかけは赤面症。

赤面症が恥ずかしいと思う息子は、学校に行けず部屋に閉じこもってしまいました。

そこで私はすぐに私の母に事情を話し、家に行ってほしいとお願いしました。

本来であれば、私たち夫婦が息子に直接話を聞いてやりたかったのです。

しかし、その週は仕事がたまたま立て込んでおりスケジュール調整が難しい。

また妻の方は、繁忙期というタイミングの悪さもありました。

なので私の母(おばあちゃん)にお願いすることにしたのです。

息子は昔から“おばあちゃんっ子”。接することにストレスはありません。

おばあちゃん(母)が話を聞いてくれた

仕事で空いた時間に母に電話を掛けてみると4回目でやっと繋がりました。

すぐに電話に出れなかった理由は、「上手に息子と話すには家にいるより買い物しながらの方がいいと思ったらから」と教えてくれました。

さすが私の母親、話を聞き出すテクニックは上手です。

関心することは多いですが、気持ちが落ち着いていない私は、「息子はどんなこと言っていた?」と聞きました。

母が教えてくれたことは、「顔が真っ赤になるのが嫌だ。恥ずかしい!」「恥ずかしいから学校に行きたくない。」と言っている。

もちろん他にも要因はありましたが、赤面症が原因の大半であり、状況を悪化させる原因だとわかりました。

不登校を克服するため取り組んだ私たちの行動

不登校を克服するため取り組んだ私たちの行動
何しろ、テストの点数だの受験だのと言っている場合では無くなりました。

私はまず学校に話し合いに行き、担任の先生とこれからどうして行くのか方針を聞きました。

しかしスタンスは、家庭の問題は家庭で解決する。学校側の対応はかわりません。

よって話し合いと平行しながら、息子の赤面症の治療や不登校を克服するための行動を起こすことにしました。

私は心の病と断定するのは尚早と思いましたが、知り合いの医者に今からどうすればいいのか相談したところ治療には種類と順序があるらしく、

治療の流れ
  • 親子の話し合い
  • カウンセリングを受ける
  • 薬を使った治療
  • セラピーを受ける
――このような流れで治療をするようです。

①~④はそれぞれ担当医も治療の方法も異なります。

そして、お金も掛かると説明されました

だけど私たちは、1つ目から頑張っていくことに決めたのです。

不登校だけど家でやっていた我が家のルール

不登校だけど家でやっていた我が家のルール
まずは「①親子の話し合い」です。

私も妻もほんとうに心配だったので、息子には「学校には行かなくていい。行きたくなったら行けばいいし、自由にしていい」と伝えました。

しかし、ダラダラ過ごすことは間違いです。

だらけず人間らしい生活するために、「毎日太陽が出ている時間帯に1時間散歩をさせる」ことをルールとして約束しました。

話し合いをすればしっかり理解できる息子は、次の日から毎日外に散歩しに行ってました。

学校には行けないけど勉強はする息子

学校には行けないけど勉強はする息子
学校には行けないけど、勉強はさせていました。

させていたというよりも、何も言わなくても勝手にやっていたというのが正しいかもしれません。

学校の教科書とは別に、ネットで参考書を購入したり、オンライン学習を利用したりして工夫しながら学習していました。

不登校を克服できたきっかけは、親子の会話だった

不登校を克服できたきっかけは、親子の会話だった
息子が不登校になってから4年が経ち、私と妻は息子が学校へ通える将来を諦めていました。

しかしこれからの時代は個性が活かせる時代になり、自立して生きていける道はあると信じていたのです。

よって息子には、HTMLとCSSなどプログラム言語を学ばせ、その結果自分のウェブサイトを立ち上げて運営できるようになりました。

最初の頃は、サイトの内容までは詳しくチェックしていませんが時代の流れが掴めていればそれでいい。

時代の流れにのったスキルが身に付けばいいと思いました。

息子のスキルアップ

あるとき、息子から「ウェブサイトで文章を書いているんだけど、全く書けない」と相談を受けました。

どんなサイトをやっているのか聞いたところ専門ニュースサイトを運営しているようでした。

息子が自分で文章を書いて情報を発信しているとは思わず、私は驚きました。

同時にどんな文章を書いているのかヒアリングしたところ、ペットボトルのお茶のレビューというではありませんか。

私は「それは俺でも難しいよ。だって書くネタが少なすぎるもん。開発者に取材でもすれば話は別だけど」と、すっかり突き放した言い方をしてしまいました。

内心「しまった!」と思いましたが、息子は「お父さんでも書けないことなんてあるんだね。開発者に取材とかしたことあるの?」と全く気にしていない様子。

そこからは私が取材で毎回緊張しているということや、文章を書いているときは毎回胃が千切れるような思いをして書いていることを話しました。

こんな話は何年ぶりか。

息子は我々両親をスーパーマンだと思っていたらしく、出来ないことや失敗した話で盛り上がりました。

そこで息子は自分が赤面症で人と対面するのが怖くなった話をしてくれました。

私は「赤面する人なんていくらでもいるよ。でも相手が望んでいることはコミュニケーションなんだよ。」と伝えました。

息子にとってはそれが晴天の霹靂だったようです。

私は加えて「他人からどう見られるかよりも、自分をどう伝えるかが大事だ」ということを伝え、「それはお母さんに聞くのが一番だと思うけどね(笑)」と話を終えました。

最後に

息子は今、専門学校に通っています。

相変わらずコミュニケーションは下手ですが、親子の会話は増えたような気がします。

私も妻も仕事の量を自然と調節するようになり、家にいられる時間を増やすクセが付きました。

今になって考えると、息子が不登校になった理由はバラバラだった家族を結束させるために必要だったのかもしれません。

そして、なによりも大事だと思ったことは時間だと思いました。

家に帰れないときは電話でもいいですし、LINEでも良いです。

とにかく息子と妻、連絡を取り合う時間の積み重ねだけが家族の絆を保つ方法だとわかりました。

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