不登校で不安だらけの私がバイトや就職で喜びを感じている体験談

脱不登校できた体験談

僕は小学校の高学年から中学生にかけて不登校でした。

これといって嫌な人がいたり、苦手な授業があったわけではありません。友だちもみんな優しい人たちばかりでした。

それでも僕が学校に行けなかったことには、ある気質が関係しています。そして高校を卒業した今では、自分の好きな仕事で毎日楽しく働いています。

この記事ではそんな僕の体験談を通して、今学校に行くことができずに苦しんでいる人に少しでも励みになったらいいなと思ってお伝えします。

僕が学校に行けなかった理由

僕が学校に行けなかった理由
その日はある日突然訪れました。

どう頑張っても布団から出ることができない。

さらに、いつもの朝の腹痛に加えて抑えきれない吐き気。

トイレに行っても上手に吐くことができません。

以前から朝にお腹が痛くなる事は多かったのです。

しかし今回は、頑張って着替えて学校に行き、授業を受けたり給食を食べれる自信がありませんでした。

「学校に行ける自信がない・このまま家で休みたい」と思い恐る恐る母親に伝えると、あっさりと休むことを認めてくれました。

「気のせいだから行きなさい!」と言われると思っていたので、なんだか拍子抜けした気分になったことを覚えています。

そしてその日を境に、翌日もそのまた次の日も僕がランドセルを背負うことはありませんでした。

理由がないという理由

不登校の話をすると「何か嫌なことがあったの?」と、8割以上の人が尋ねてきます。

これは親も先生も同じです。

だけど僕が一番知ってほしいことは、
「別に理由なんかなくても不登校になることがあるんだよ」
ということです。

このように明確な理由がない不登校の人は、きっとたくさんいるんじゃないかと思います。

それでも大人は原因を探すのが好きです。

探したところで良い解決方法があるのか?と思いますが、自分のためを思って考えてくれているので、当時の僕はあまり何も言えませんでした。

敏感すぎる子

最近になって「HSC」という言葉を目にするようになりました。

たまたま本屋さんで見つけたタイトルに「敏感すぎる子」という文字があって、チェックテストのほとんどに自分が当てはまることに驚きました。

それ以外にも「繊細さんの本」など、人よりも気に病みやすい人のための本が数多く出版されています。

思春期の時の自分がこれらの本に出会っていれば、あんなに苦しまなかったのかもしれません。

それだけ不登校で閉じこもっていた時の僕は、周りの目を気にして生きていました。

きっと、〇〇〇に違いない

「きっと友だちはこう思うにちがいない」僕は常にこのように考える子どもでした。

三つ下の妹は天真爛漫で、平気で親に欲しいものをおねだりできるような性格でした。

一方僕は、「親は僕のことを、お兄ちゃんなんだから我慢しなさいと思っているに違いない。」と思い、自分から欲しいものをお願いしたことは一度もありません。

友だちと接していても、自分が言った冗談が友だちを傷つけてしまったのではないか?と後から不安になって、「きっと陰で僕の悪口を言っているかもしれない」と考えることがよくありました。

さらには図工の時間で描いた自分の絵が廊下に貼り出された時も、「友だちも同じひまわりの絵を描いたのに僕だけ表彰されてしまって、気分を害していないか?」とまで思ってしまう性格でした。

今思えば、どれもが自分の頭の中で勝手に思い描いた妄想でしかありません。

妄想が自分を苦しめて、勝手に周りの人達を敵にしてしまっていたのです。

学校に行かなくなってからの変化について

学校に行かなくなってからの変化について
僕が学校に行けなくなってから、どのように心が変化していったか?についてお話しします。

修学旅行にも行けず

僕は小学校の修学旅行も中学校の修学旅行にも参加していません。

ただでさえ繊細なのに、24時間寝食を共にするなんてとても精神が持たないと思いました。

幸い親も先生も理解があったので、「行ったら楽しいはずだよ?」と無責任な提案をしてくることはありませんでした。

今でも忘れられないのが、「修学旅行で支払うはずだったお金を貯金しておくから、いつかあなたがこの人となら一緒に行きたいと思える人ができた時の旅行費に使いなさい。」と母親が言ってくれたことです。

行かないことで回復できた心

このように本来参加すべきはずの行事に参加しないことで、僕の心はどんどん回復に向かって行きました。

中学校に進学すると運動会がない代わりに体育大会が催されます。

体育に自信がなかった僕は、自分が参加することでクラスメイトの足を引っ張ってしまう事に過剰に反応してしまいました。

一度この感情に支配されてしまうと、それ以外の事もおぼつかなくなるほど動揺してしまいます。

そんな時に 「辛かったら出なければいい」という選択肢を許されていたことには、今でもとても感謝しています。

このような体験談をすると、一部の人からは「そんなのズルくない?」という意見をもらいます。

確かにそうかもしれません。嫌でも頑張って参加している友だちもいるからです。

当然僕も、「あの子だけズルくない?」と噂されていると思っていました。

信頼できるカウンセラーとの出会い

「自分だけ出たくない行事に参加しない」「その日の精神状態によって登校したりしなかったりを繰り返す」ことへの周りの目を気にしていた僕の救いになってくれたのが、当時中学校のカウンセラーとして在籍していた女性の先生でした。

親の勧めで月に1度定期的にスクールカウンセラーと面談をしていた僕は、その若い女性の先生が大好きでした。

どんなところが信頼できたかというと、「きっと僕の事を色々言う人がいるでしょうね」と落ち込む僕に、「そうね。 いるかもね。」とハッキリ言ってくれたことです。

普通だったら「そんなことないよ」「考えすぎだよ」となだめられるところを、カウンセラーの先生は正直に「そうやって思う人は思う」と伝えてくれたのです。

その上で、「だから何なの?」とカラっと笑って返してくれました。

先生が言うには、
「相手がどう思おうと、それは相手の問題。相手の感情にまであなたが責任を持つことはない。」
と教えてくれました。

そういえば、不登校の理由を一度も尋ねてこなかった唯一の大人もこのカウンセラーの先生です。

復学せずに高校受験した話

復学せずに高校受験した話
中学校には精神的余裕がある時だけ何回か通いましたが、それでも圧倒的に制服に袖を通さなかった日の方が多いです。

それでも無事に義務教育を卒業できたのには、親や当時の担任の先生の連携プレーがありました。

また数少ない友人が、僕との連絡を途絶えなく行なってくれていたことにも感謝しています。

時々友だちが学校から帰ってきたタイミングでお家にお邪魔して、一緒に勉強をしながらおやつを食べたりして過ごしました。

内申点は重要か?

中学に入ると内申点が受験に大きく影響します。

しかしこの内申点は、在宅で行なっている勉強の進捗状況を学校に伝えることで十分に配慮してくれるのです。

そのために親は、頻繁に担任の先生と連絡を取り合ってくれていました。

必要であれば放課後に三者面談を行ったり、定期テストだけ受けることができるように配慮してもらっていました。

体育などの副教科に出席する回数が少なかったので、他のクラスメイトに比べると内申点は低かったのかもしれません。

しかしそれでも希望する高校に受験するには、支障のない程度の内申点を維持することができていました。

勉強の遅れはインターネット学習で

元々勉強は嫌いなほうではありませんでした。

なので自分でタイムスケジュールを作って、学校の教科書を活用しながら勉強を進めていました。

親友が定期的に進捗状況を教えてくれたので、どうしても分からない部分は放課後担任の先生に個別に質問して解決していました。

ただ受験が差し迫った頃には自宅学習だけでは不安だったので、インターネットで勉強できるツールを色々調べて、親に相談しながら自分に合った学習方法を見つけました。

思えばこの頃から、自分のために親に何かをお願いすることに抵抗が少なくなっていたと思います。

不登校の僕が選んだ高校とは?

不登校の僕が選んだ高校とは?
不登校の僕が、高校に入る条件として決めた二つのことがあります。

一つ目は、お金があまりかからない公立高校であること。

そして二つ目が、アルバイトが許される高校であることです。

一つ目に関しては親からは「あなたが望むならお金の事は気にしないで」と言われていました。

しかし、妹が私立高校に行く気満々だったので、どうしても気にせずにはいられない性分です・・・。

二つ目は、 お金を稼ぐことに興味があったことと、部活を経験したことがない自分が学校以外に自分の居場所を作ってみたいという希望があったからです。

不登校の僕が選んだアルバイト先

意外に思われるかもしれませんが、不登校の僕が迷わず選んだアルバイト先は接客業でした。

それもテキパキとした元気な動きと明るさが求められるファストフード店。

繊細だから不登校になったのに大丈夫?といった感じですが、だからこそ「多くの人と接してみたい」「荒療治と思えるやり方で克服したい」という思いが入り混じっていました。

しかもそのことで「お金がもらえる」となれば、きっと割り切ってやり遂げられると思ったからです。

バイトを通して得た自信

バイト先の人間関係にも恵まれて、なんと3年間同じバイト先で続けることができました。

最終的にはバイトリーダーになり、「高校卒業後は正社員で働かないか?」と声をかけていただいたほどです。

僕にとって接客業は天職でした。

それには、バイト先にいた正社員のチーフとの出会いも大きかったです。

そのチーフは女性で、僕が不登校だったことが接客業に有利になると言ってくれた人です。

最初はその言葉の真意がわかりませんでしたが、3年間同じバイト先でいろんな仲間と出会うことで、少しずつその意味が分かっていきました。

接客業って、テクニックである程度上手に見せることができても、そこから先はその人の持って生まれた性格が大きく接客の質を左右するんです。

例えば、
・何回もお客様を怒らせてしまうスタッフ
・仲間内ではいい子なのにお客様には淡白な対応
・お客様からの要望に鈍感なスタッフ・・・etc

僕は繊細なゆえにお客様が店内に入ってきた瞬間に、そのお客様がまとう雰囲気を察知することができました。

普通にしていても「あの人を怒らせてはいけないな」という人を見抜けたり、理不尽なことで怒り出すお客様をなだめることも、どのスタッフよりも上手にすることができました。

「それはあなたが永年、 苦しみながらも培ってきたズバ抜けた観察力で財産です。」 と、チーフは分析してくれました。

不登校のおかげで得ることができた天職

不登校の経験を経て
現在僕は、ホテルのフロントで正社員として働いています。

不登校時代に家族旅行で訪れたビジネスホテルのフロントの女性がとても素敵で、いつまでも憧れとして残っていたからです。

「あなたなら向いている」とファストフード店のチーフが言ってくれたことも後押しになりました。

中国人などインバウンドのお客様に対応できるように、高校の2年生からインターネット教材を利用して英語の勉強も一生懸命行いました。

目的ができてからの勉強は大変でしたがとても楽しかったです。

面接時には、不登校の経験も正直にお伝えしました。

いくつか受けたホテルの中である面接官が、「今目の前にいるあなたがどのようなポテンシャルでいるかが、僕たちには重要です。」と言ってくださいました。

その面接官が、現在の僕の直属の上司です。

不登校の経験を経て

不登校で中学校をまともに通うことができず、それでも高校に進学してバイトをし、自分にとっての天職を見つけた話について読んでいただきました。

僕は本当に、周りの人に恵まれていたと思います。

また不登校の要因になったかもしれないこの厄介な性格も、プロの世界では役に立つこともあるんだなということがわかりました。

ホテルには国籍を問わずいろんなお客様がいらっしゃいます。

当然価値観も違いますし、お客様にとっては虫の居所が悪い日だってあります。

それでも僕は今の仕事を一度も辞めようと思ったことがありません。

どんなお客様でも誠意をもって接していれば、通ずるものがあると信じているからです。

また一緒に働く個性的な仲間との間に揉め事もありません。

中には愚痴ばかり言うスタッフもいますが、今の僕は「そうだね」と聞き流すことができます。

昔の僕のままだったら、自分の事を言っている?といちいち気に病んでいたでしょう。

しかし今はバイト経験などで僕自身のメンタルは成長しました。

それでも気落ちしそうになる時はいつでも、中学時代のカウンセラーの先生の言葉「だから何?」を思い出すようにしています。

僕のことを傷つける権利は誰にもありませんし、「あの人は自分のことをこう思ってるかもしれない」と思う気持ちこそが自分の身勝手だということを教えてもらいました。

もし今、不登校で先が見えない不安で苦しんでいる人がいれば伝えたいです。

あなたが輝ける場所が必ずあります。そしてあなたを必要としてくれる人も必ずいます。

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