不登校は人生の寄り道。いじめられても高校に進学できた体験談

脱不登校できた体験談

娘が中二の秋に不登校になりました。

小学生の頃から内向的で繊細な傾向が強く、友だちと外遊びするよりも教室で本を読むのが好きな子。

通知表にはいつも「もっとお友だちと積極的に遊びましょう!」と書いてありました。

それでも小学校では少ないながらもいつも話す友だち達はいたようで、この頃はそれほど学校生活を苦にしていた様子はなかったです。

不登校になったきっかけは部活トラブルだった

不登校になったきっかけは部活トラブルだった
中学にあがると絵を描くことが好きだった娘は美術部に入りました。

しかしそこでは友だちは作れず、挨拶をしなかったことによる叱責などの部活の先輩とのトラブルにも見舞われ部活動は休みがちに。

これによって同じクラスの美術部員との溝が出来てしまい、ただでさえ友だちを作ることが得手ではない娘は教室で孤立を深めました。

それでも一年生の間は何とか登校していたのですが、二年に進級するといよいよ部活にはまったく行かなくなりました。

「部活の時間は、保健室でよく休んでいた。」と後に本人から聞きました。

進級によるクラス替えでもやはり友だちはできない。

また勉強の方も、不得意な教科がどんどん分からなくなっていたようです。

この頃になると娘は自宅でも部屋に閉じこもりがちで、買い物に誘っても首を横に振るばかり。

休日も遊びに行くようなことはまったくなくなっていました。

中学2年生の夏休み明け

そして二年の夏休み明け、とうとう娘は「学校に行きたくない。」と頻繁に言い始めて学校に行けない日が続きました。

「甘えても何も変わらない」
「あまり休むともっと行きづらくなる」

と言い聞かせ、玄関から送り出しても午前中に泣き腫らした目で学校から帰ってきてしまうことも何度かありました。

後から思い返すとこの頃の娘が精神的に一番辛かった時期。

部屋から何時間も泣き声が聞こえたり、食事をほとんど摂らなくなったりと本人も相当追い詰められていました。

美術部の部活に使う道具をめちゃめちゃに壊して捨ててあるのを見つけた時、

「今はこれ以上娘を苦しめてはいけない」
「しばらくは学校のことを考えなくてもいい」

と思い、そのことを娘に伝えたとき、強張っていた細い肩から力の抜けた姿は忘れられません。

学校に行けないことに一番苦しみ、思いつめていたのは間違いなく娘でした。

こうして我が子の一年に及ぶ不登校ライフは始まったのです。

不登校を克服するために取り組んだ私の行動

不登校を克服するために取り組んだ私の行動
我が子が不登校になったとしても、進学や学校への復帰などは常に考えておかないといけません。

見守ることと放置することは違います。

不登校から引きこもりになってしまうケースは非常に多く、家にいる期間が長引くほど社会への復帰は困難になってきます。

私の行動

私は娘の将来をあきらめたくない。

できる行動はあると思い、担任との連絡を密にして、出席日数が足りなくても進学できる学校を探したり、子供の自宅での勉強に付き合うなど出来ることから始めました。

もちろん、不登校専門のカウンセリングや不登校児たちのためのフリースクールなども検討しました。

しかし娘に伝えるとと気乗りしない様子。

結局、私たちは利用しませんでした。

それでも娘が学校に行きたくなったらいつでも行けるよう定期的に彼女の靴は磨いていましたし、制服は埃をかぶらないようカバーもかけていました。

「無理に行かなくてもいい。」は、「行きたくなったらいつでも学校に行ってもいい。」ということでもあります。

不登校だけど家でやっていた我が家のルール

学校に行かなくなってすぐ、娘は昼夜逆転生活になりました。

昼間はずっと寝ていて深夜になると起きだす。

台所にある私が準備しておいた食事を食べて入浴を済ませ、そのあとはひたすら部屋にこもる生活。

半月がそうやって過ぎた頃、「ずっとそうやって生活するの?」と聞きました。

娘も「学校に行かなくなってから生活リズムが崩れてしまう」と自分もダメだとわかっている様子。

なので「朝は8:00に起きる!」を我が家の最初のルールにしました。

8:00になったら起きる娘は、朝食とその後片付けをして12:00まで勉強。

昼食を済ませたら次は、3:00まで参考書やドリルなどを使った勉強をする。

3:00以降は部屋の掃除をするというサイクルができました。

合間に洗濯をする、お風呂掃除をする、といった自分の身の回りの世話は、可能な限り自分で行うことも徹底させました。

娘は自分で決めたルールは、きちんと守れる子。

少しずつですが、生活サイクルは安定しました。

学校に行けないけど勉強はやっていた

学校に行けないけど勉強はやっていた
学校に行けなくても「平日の昼間は勉強すること」は約束していました。

中学は義務教育であり、それなりの知識、教養がなければ絶対にあなたが将来困ることになる。

そのことを娘に常に教えていました。

なので、自発的に各教科の参考書やドリルを買ってきては部屋で娘なりに時間割を決め、取り組んでいたようでした。

今はオンライン学習など便利なツールがありますよね。

当時私たちがオンライン学習を知っていれば、参考書や問題集など買わずにオンライン学習をやっていたと思います。

オンライン学習はやっていませんでしたが、少しずつ成績も安定し、家でゆっくりと心を回復させていきました。

不登校でも出席扱いがほしい!サポート重視オンライン学習を比較
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不登校を克服できたきっかけは趣味だった

不登校を克服できたきっかけは趣味だった
ある時、娘がパソコンで絵を描くソフトと道具を買いたいと私に言ってきました。

娘が家にいる間もスケッチブックやノートに絵を描いていたのは知っていました。

「勉強や家事を疎かにしない」「うまくいかなくてもすぐに放り出さない」と約束をしてペンタブやソフトなどを買い与えてあげました。

娘はすっかりのめり込み、紙とは何もかも違うツールに四苦八苦しながらも居間の家族共有のパソコンを可能な限り占領しては好きな絵を描いていました。

気づくと娘が不登校になって一年が経つ頃。

同級生が遠足や修学旅行に行っている間も娘はずっと家にいました。

新しい担任が持ってきてくれた修学旅行での同級生らの写るクラス写真を切なそうに見つめていた娘。

この夏は定時制や通信制といった高校の見学に親子二人で出向いたりもしました。

絵を描くのに没頭することが娘の中の何を変えたのかはよく分かりません。

ですが彼女はきっと「学校生活や友人関係が上手くいかなくても、受け入れることができなくても、自分にはこんなに楽しめる趣味がある、世界がある」と思ったのではないかと思うのです。

そしてその日は突然やってきました。

「私、学校に行こうと思う。どうせあと少しだし、保健室登校なら部活の人にも会わないし」

娘が唐突にそう言うのを聞いたとき私の胸に不安が湧きます。

また泣きながら帰宅するのではないか、同級生たちは娘を受け入れてくれないのではないか。

ですが「大丈夫なの?」とは敢えて聞きません。

きっと娘が一番不安だったはずだからです。

「じゃあ週末に制服をクリーニングに出そうね。綺麗な制服で行こう」

それから卒業までの数か月のあいだ娘は保健室登校を続け、卒業式には校長室で校長先生から卒業証書を渡されました。

通信制高校への進学も無事に決まり、波乱に満ちた彼女と私の不登校ライフは幕引きとなったのです。

まとめ

  • 生活リズムは決めた
  • 自分でできることは自分でやる
  • 自分の合う趣味を見つける
  • 通信制高校という選択肢
  • 娘が学校に行っていない間、終わりの見えない真っ暗なトンネルを娘とひたすら一緒に歩いている気分でした。

    このまま何の希望も持てない人生を娘が歩むのかと不安で胸が塞ぐような夜を幾晩も過ごしました。

    ですが、歩き続けていればいずれトンネルは終わります。

    通信制高校を無事に卒業した娘は、いま美術系の専門学校に通いながらアルバイトもして毎日がとても充実しているようです。

    不登校は人生の寄り道です。

    それで子どもの人生が終わることは絶対にありません。

    未来は可能性に満ちています。

    本人にやる気さえあれば、今は無気力でもいずれ心が元気を取り戻せば幾らでも将来への道は広がっています。

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